映画と社会を繋ぐ仕事がしたかった
◎佐藤さんにはお会いしたことはあったんですか?
清田 はい。佐藤さんが昔、池袋のコミュニティーカレッジっでクラスをもっていたのでそれを聴講しに行きました。その後、卒論を『まひるのほし』を題材に書いたので完成した後に送ったら「映画祭やってるから来たら」というお返事の手紙がきて、会いに行きました。でも緊張して何も話せなかったです。
◎その頃から佐藤真さんの本を作りたいと思っていたんですか?
清田 はい。私は、学生のときはまじめに勉強していなくて、卒論の時に初めて夢中になって学んだり、行動したりできたんです。できれば、ずっとこの楽しい時間が続く仕事がしたいなと思い、ものすごく短絡的に、いつか出版社に就職して佐藤さんの本がつくれたらと思っていました。
山形国際ドキュメンタリー映画祭に行ったりもしました。とてもすばらしいお祭りなんですけど、当時、就職に悩んでいた身としては、そこの熱気とそれ以外の社会とのギャップが大きすぎるように感じられてしまった。本当は山形で上映される映画の内容やメッセージは山形にに来ない人にこそ見て欲しいと思ったんです。
だから、映画と社会の間を繋ぐ仕事をしたいと考えたときに、本だったらいろんなものができるかもしれないと思ったんです。小説でも、写真集でも、映画論でも、本だった繋ぐことができるんじゃないかって。
それで、就職氷河期を乗り越えなんとか出版業界に就職できました。ところが、佐藤さんの本などを作れるような職場にまったく入れなくて。それに対してすごく悲しくてやりきれなかったんですけど、そんなこと言っていたら目の前の仕事できないですから、日々の仕事に邁進しました。
なので、その頃はドキュメンタリー映画からは遠ざかっていました。しかし、やっと自分なりに仕事ができるようになってきたと思っていた頃に、訃報が飛び込んできたんです。佐藤さんは49歳でした。間にあわなかったと思いました。当時はずっとドキュメンタリー映画からは遠ざかっていたので、亡くなったからといって本を作れるような状況にもなかった。自分は佐藤さんが亡くなった事ををどのように受け止めたらいいかがわかりませんでした。
佐藤監督の作品は見る側にゆだねるところがあるんです
◎佐藤さんは、亡くなったカメラマンの牛腸茂雄(ごちょうしげお)さんについて撮った『SELF AND OTHERS』に代表されるように、不在をテーマにした作品をたびたび撮っていました。結果的にこの本もそれと同じ手法をとることになりましたね。この本を作るにあたってのコンセプトなどはあったんですか?
清田 コンセプトはありませんでした。作るのもおこがましいというのもあったし、わからないことをわかったようには言えないなというのもありました。佐藤さんの仕事をまとめる本にしようとういことだけは決めていました。懐古的な本にだけはしないようにと。
今、本をつくることにした動機は、時代の空気が佐藤さんが活躍していた90年代から00年代初めと現在とでははまったく違ってきていたということです。先日も、アメリカの大統領選でトランプが勝つなんて想像もつかなかったですし。物事に対するイエス、ノーもものすごくはっきりしていきている。
90年代って、現在ほど意見がはっきりとしていなくてもいられる時代だったと思うんですよ。若い奴は意見が無いのが問題だって上の世代から言われていたかもしれないですけど。だから問題は底に沈んでいて、佐藤さんはそれをすくい取ってあぶり出すみたいなやり方をしていたと思うんです。わかったような気にならずに、物事をよく見るっていうことをやろうとしていた。
ところが現在は、あまりにも派手な問題に目を奪われてしまって、よく見たり自分の頭で考えることが抜けてしまっていると感じたんです。自戒も含めて。特に震災以後、私もSNSをよく見るようになって、閉鎖的な空間で飛び交ってくる言葉にいちいち憤ったり、一喜一憂して振り回されるのが自分でもいやになりました。そんな時に佐藤さんだったら、どういう反応するんだろうと思ったんです。今、私にとって佐藤さんの仕事を考え直すことが必要でした。
◎例えば、『まひるのほし』などでも、障害者のアートはこういうものだという、何かを主張するような作品ではないですよね。
清田 そうなんです。こちらにも考える余地があって、お皿だけ用意してくれているような感じなんですよね。そこで答えを言われてしまうと思考が停止してしまう。ドキュメンタリー映画作品は作る側のスタンスがはっきりしていて、その姿勢を裏付けるかのように結論に導いていく作品が多いのですが、佐藤監督の作品はそうではなくて、見る側にゆだねるところがあるんです。
世の中の周縁に「ある真理」が見える
◎制作途中で、この本はどのように形になっていきましたか?
清田 原稿をお願いした方々には、具体的なエピソードを元に書いて下さいという事だけ伝えて、詳しい作品やテーマはまったくこちらからは指定せずにお願いしてるんです。それが結果、きれいに内容がばらけました。その原稿を、佐藤さんの未発表の原稿で関係がありそうなものと組みあわせていきまいした。すると、昔の原稿が2016年の原稿と一緒になって時間を経て円になっていくような感じになりました。それこそがやりたいことでした。章立ては後から考えて、ピースを集めてそれを組み立てていくかんじでしたね。
◎それこそ、素材をたくさん撮ってそれを編集の見せ方で考えていくドキュメンタリー的なやり方ですね。
清田 それはそんなに意識していなくて、結果そうなったってかんじですね(笑)でも、頭の中にすり込まれているのかもしれないですね。佐藤さん的なやり方が。
『井田真木子 著作撰集、第2集』(里山社)
田代一倫写真集『はまゆりの頃に 三陸、福島 2011〜2013年』(里山社)
◎井田真木子さん、佐藤真さんともに、マイノリティーというか、中国残留孤児2世だったり、同性愛者、公害の被害者、障害者といった、見過ごされがちな人々や社会状況にいる人々をていねいに見つめる作家だったと思います。里山社の最初の出版物の『はまゆりの頃に』という東日本大震災で被災された人々のポートレイトを集めた田代一倫さん写真集もそうですね。震災被害者とひとくくりにされて見過ごされるけど、そこには1人1人の人生があるというのに気付かされます。里山社は一貫して「一見、見過ごされがちな少数派の人々の生活に光をあてることで、見えてくる何か」を表現している作家さんの作品を本にしているように感じます。清田さんにはそういうポリシーなどがあるのでしょうか?
清田 少数派だからやっているというわけではなくて、すごいと思った人達の本を作ろうと思ってやっていますね。次に、もっとクローズアップされるべき作家なのに、と思う人や作品かどうか。
田代さんは新人だったというのもあるんですが、すごいことをやっている人だと思いました。井田さんもそうですし、佐藤さんもドキュメンタリストとしてはすごく亜流の人なんです。特に佐藤さんは、原一男、土本典昭といったドキュメンタリー作家の潮流の中に必ず入ってくる人だと思っています。でもこのまま、誰かが言いつづけないと埋もれてしまうと思った。そういう中で今のタイミングで声を上げておくのは必要なのかなと思います。
隅っこにあるっていうのは、誰かが言っていた言葉なんですけど「世の中の周縁に真実は宿る」という言葉があって。そういう場所にこそ世の中の周縁に「ある真理」が見えることがあると思うんですよ。